本日は遡ること、山本耀司 氏 が25歳の頃のお話。
4年制大学卒業後、25歳の 山本 耀司 氏 は当時、文化服装学院デザイン科の学生。
装苑賞で1968年 3月号〜翌年2月号迄、
計13点という異例の点数が候補に選出されております。
装苑賞とは雑誌 装苑が創刊20周年を記念して
応募資格は、服飾デザインを職業としてない者。
学生でなければいけない訳でもなく、応募資格は極めてシンプル。
過去に、コシノジュンコ、高田賢三、山本寛斎
といった、世界で活躍するデザイナーも授賞歴がある
デザイナーの登竜門とも言えるファッションにおいて歴史や名誉ある装苑賞。
同じ、山本の苗字である 山本 寛斎 氏 は
第21回で装苑賞を受賞しております。
耀司が第25回で装苑賞を受賞した際に
「ヨウちゃんは、これからはカタカナか平仮名で行ってよ。オレは漢字で行くからさ。」
と、
「同じ苗字で混同されるのを気にしたのだろう。」
と 山本 耀司 氏 は回想したそう。
山本 寛斎 氏とはこの後、あらゆるシーンで力を合わせてファッション業界を盛り上げていくことになります。
そんな2人のスタートラインに近い頃の、仲睦まじいエピソードトーク。
25歳の 山本 耀司 氏 は、第25回 装苑賞に輝き
文化卒業前にして、この装苑賞と合わせて遠藤賞も受賞。
当時は、クレージュとカルダンが流行の中、装苑賞候補にも多く影響を与えております。
そんな中、山本 耀司 氏の作品は時流を越え、フォルム、切り替え線も
その後の Yohji Yamamoto への繋がりが、伺える一点。
作品の評価に、「欠点がない。」とコメントされるほど
絶賛を受けております。
このW受賞を手にし、大きく一歩をデザイナーに寄せております。
その後、3年が経つ頃に ワイズ を設立させ
デザイナー人生へと進めました。
今から凡そ51年前ものお話。
ブランドスタート時でも無く、それよりも前のお話。
モードの記録。(書籍) の中で、当時の様子も記録されております。
機会があれば、ぜひご覧いただきたい記事のひとつ。
Dear Joze. にも一冊、置かれております。
お気軽に、お読みくださいませ。
Dear Joze.
山添