本日はJoze取り扱い2ブランドの内の1つ
Yohji Yamamotoについて書きたいと思います。
1980年代から日本を代表するデザイナーとしての立場を確立し、世界からも高い評価を受けモード界を牽引してきたブランド。
今更、何かを記す必要も無いのかと考えておりました。
Yohji Yamamoto デザイナーである山本耀司氏が東京コレクションでデビューした1977年。
Dear Joze.の代表を務める私は、生まれてもいませんでした。
そのような私が紹介するのはどこか痴がましい感覚ですが、このブログを読んで頂いている方で詳しくない方もみえるかと思いますので、軽い紹介をさせて頂きます。
加えて、私にとって、Dear Joze.にとっての「Yohji Yamamoto」を書いていきます。
Yohji Yamamoto/desiger:山本耀司
1977年に東京コレクション、1981年にパリコレクションデビュー。
日本の三大メゾンとも言われるブランドです。
1番に伝えたいことは「黒」をパリコレクションに持ち込んだということ。
現在では当たり前になっている「黒」のお洒落着。
黒のフォーマルスーツ。
オールブラックコーディネート。
聞き慣れた言葉です。
雑誌でも度々目にします。
それが1980年ではタブーだった。
黒は「葬式」や「反抗」と言ったイメージがあり、当時のプレタポルテではあまり使用しない色だったそうです。
「黒」を押し出すようなスタイルは言語道断。
その常識が業界内でルールとなっている中で、
Yohji Yamamoto/designer:山本耀司
COMME des GARCONS/designer:川久保玲
は「黒」を前面に押し出したショーを行ったのです。
その時の動画があります。是非ご覧ください。
「黒の衝撃」と称され、パリのジャーナリストからは賛否両論の嵐。
アメリカの大手服飾業界紙「WWD」は、
山本耀司氏の作品の写真に大きなバツを描き、
「Goodbye」という見出しをつけたほどだったようです。
当時、「黒」のスタイルはそれほどまでにありえないことだった。
それが今では当たり前になっている。
その先駆けとなったのがYohji Yamamotoです。
以降、黒を押し出すYohji Yamamotoのショーは繰り返されました。
時が経つにつれ、黒ばかりでは無く様々なカラーを使用しYohji Yamamotoの世界を表現。
私が実際にパリコレクションをチェックしたり衣服を購入したり出来るようになった時期には「黒」を押し出すようなショーは少なくなってきました。
そのような流れの中で記憶に新しい2015年秋冬
1ファンとして震えました。
1981年の「黒の衝撃」ならぬ「黒の再来」と称されるコレクションが展開されたのです。
山本耀司氏御本人も全身「黒」で登場。
このコレクションを見た時、取り扱いのお願いをすると決めました。
何か感じるものがあったのです。
「黒の再来」
ジャーナリストのテクニックのような名称だと、ただの名称だと頭では理解していながらも、感動を抑えきることが出来ませんでした。
そして、1981年から変わることの無い山本耀司氏の確固たる姿勢。
本当の意味での芯のようなものが見えた気もしました。
最初のブログ「Dear Joze.について」でも書きましたが、
上記のような山本耀司氏だからこそYohji Yamamotoは永遠に続くと信じて止みません。
「黒」という山本耀司氏を語る上でいくつもある中から選んだ、たった一つのキーワードですがこのブログで少しでも伝われば幸いです。
2016SSコレクションの1st LOOKでも前面blackのスタイルが登場しております。
Dear Joze.ではセットアップで入荷。
Yohji Yamamotoを長年着用している方にはもちろん、初めての方にもオススメしたいセットアップです。
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ここからは、私にとってのYohji Yamamotoについて。
そもそも私が「服」というものに興味をもち始めたのは確か15歳の頃。
当時から身長が高く、15歳にして187cmありました。
高校時代には、誰もが通過するであろう安価な古着屋やセレクトショップにて大きいサイズを探し出して購入していました。
その時代に購入していたものは、時が経つにつれて必要なくなってしまい、捨てたり、友人にあげたりを繰り返し、ふと疑問に感じたのです。
「5年、10年着れるものは無いのか」
古着や大手セレクトショップのオリジナルは高級といった訳ではありませんが、捨てるには躊躇う値段かと思います。
高身長の私でもブランドの提示するサイズ感で着用可能
5 年、10年と長く着用可能
そのような考えの中、多くのブランドを見てきて、Yohji Yamamotoに出逢いました。
こんなに素敵な服があるんだ、と若年にして思い、そこからひたすらにYohji Yamamotoを購入、着用し続けました。
結果として、5年、10年と着用し続けることが出来て、私にとって1番だと、確信しました。
ただ、「取り扱いをする」といったことは想像も出来ませんでした。
日本のトップのブランドを取り扱うことは不可能だと、無意識のうちにカテゴライズしていたんだと思います。
意識をし始めたのはKa na taデザイナー、加藤哲朗氏とのふとした会話。
「そんなに好きで着てるなら、お店に並べちゃえばいいじゃん」
加藤氏は間違いなく覚えていないと断言できるほどのふとした会話です。
今まで考えてもいなかったことだったため、このふとしたお言葉がきっかけとなりました。
考えてもいなかったけど、いざやったらどうだろうか。
と一歩進んだ意識が生まれ、あぁだこうだと試行錯誤しました。
私の答えは、
「Ka na taとYohji Yamamotoのみでお店を始めること」
その答えが出た数日後、上でも書いた「黒の再来」と称されるショーを見ました。
考える前に行動だと、加藤氏から取り扱いのOKをもらえていない状態で、今度はYohji Yamamoto社に依頼をしました。
「Ka na taというブランドと、Yohjiさんだけでお店を作りたいんです。」
僕からしたら最善の答えですが、甚だ可笑しいことを言っていたんだと思います。
そもそもセレクトショップとして2ブランドなんてありえない。
もし少数ブランドだとしても、Yohji Yamamotoと並べるブランドは他にも多くあるはず。
たった2ブランドのお店で、Yohji社の方は聞いたことのないKa na ta
それを依頼しに行ったのは山本耀司氏の孫でも可笑しくない若造の私です。
真剣に、この答えに至るまでの経緯や個人的な想いまでを伝えました。
蔑ろにされることはありませんでしたが、答えはKa na ta、Yohji Yamamoto共に不可。
結果として、2015A/W 「黒の再来」からのお取り扱いは叶いませんでした。
そこから半年の間、依頼を続け、現在に至ります。
何故、2016S/Sから取り扱いの許可を頂き、Dear Joze.がカタチになったのか。
それは私にも実は分かっておりません。
Dear Joze.がOPENした2016/2/22
実は2015/12迄はOPEN出来るのかどうかすら未確定でした。
お取り扱いが決まった時は、言葉にならない想いがあって、今だにフッと感極まることもあります。
Dear Joze.は私にとっての、夢のようなお店です。
Yohji Yamamoto、Ka na taはそれだけ私にとって大切なブランドであり、両デザイナーには最上の信頼と、尊敬をしております。
そして、Dear Joze.は両ブランドと、生涯共にしたいと心から願います。
Ka na taとの出逢い、そして現在までの経緯も後日ブログにてお伝えさせて頂きます。
それでは皆様、明日明後日の水木は定休日です。
3/18(金)からのご来店をお待ちしております。
Dear Joze.
代表
Dear Joze.
名古屋市中区千代田3-27-14
TEL:+81.52.684.7269
OPEN : 13:00 – 20:00
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