山本耀司と蜷川実花-Yohji Yamamoto×Mika Ninagawa [ BLACKLIGHTS ]
現在、Yohji Yamamoto青山本店で開催されている写真展
ヨウジヤマモト×蜷川美花
モノクローム写真展
BLACKLIGHTS
~10/10(火)
11:00-20:00
東京都港区南青山5-3-6
Exhibited works: Mika Ninagawa, 2017 ©2017 mika ninagawa. All rights reserved.
色彩豊かな写真が印象強い蜷川さんに「モノクロ」写真という決まりの中でオファーされたYohji Yamamotoコレクションフォトの展示。
様々なメディアで取り上げられ、インターネット上には多くの記事が掲載されています。
私自身、Yohji Yamamotoの衣服、そして山本耀司氏本人に惹かれてDear Joze.で皆様にYohji Yamamotoを提案しています。
そのため、Yohji Yamamoto関連の記事は可能な限り見たい、そう思っています。
今回のモノクローム写真展[BLACKLIGHTS]の記事も幾つか拝見しました。
その中で1つ紹介したい記事があります。
もし、まだご覧頂けていない方がみえましたら是非ご覧ください。
i-D .vice.com様の記事です。
山本耀司氏と蜷川さんにインタビュアーが質問を投げかけていく形式。
オファーのきっかけから、蜷川さんの父・蜷川幸雄氏のお話、パリコレクション当日について、山本耀司氏の創造の原動力とは何か、最後に現代の若者へのメッセージで締めくくられています。
この中の「山本氏の創造の原動力とは」についての文が下記です。
近年では絵画展「画と機」の開催やコレクション・ミュージックをご自身で手がけられたり、多岐にわたる創作活動が見受けられますが、枯渇することのない創造の原動力とは何でしょうか?
Y:つまり、馬鹿なんじゃないかな?(笑)。まあ、何かしていないと死にたくなっちゃうんだ。僕は昭和18年に生まれ落ちて、人間だとか大人とかいう存在に気づいた瞬間から、いわゆる”社会”と対面したくない、大きくなっても絶対に”こういうやつら”の中に入りたくないと、ガキの頃、4〜5歳からそういう思いがあったので。こんなところで話すことではないんですけど、戦争で夫を失ったうちの母はが苦労しているのを見て、当時、父が帰ってこない理由を子どもながらに色々と調べたんですね。徴兵されたのは昭和19年の話です。その年は、もう敗戦が決まっていたでしょう? そんな時でもまだ36歳の男を兵隊にして連れていくという当時の日本軍。そこからずっと大人に腹が立っているから、要するに、捻くれているんですよ、ガキの頃からね。
赤文字にしている一文「馬鹿なんじゃないかな」
「馬鹿」という言葉は一般的には悪い言葉であることは間違いないと思います。
しかし、ここでいう「馬鹿」はそうではありません。
過去のブログでKa na taデザイナーである加藤さんにDear Joze.取り扱い承諾の理由を聞くと、
代表を務める私について、
「馬鹿だから」
「今時、こんな馬鹿っているの?って思ってる」
このようにお話し頂いたと綴りました。
Ka na ta加藤さんがDear Joze.を紹介してくださったブログでは、
dear joze. というセレクトショップは、Ka na taと、yohji yamamoto の2ブランドしか取り扱っていない。
お客様はそこでどんな体験をするんだろうか。
あれは何年前だろうか。
dear joze.のバイヤーは自ら服を見たいと連絡をくれた。
基本的には取扱店舗を増やすつもりがないことはあらかじめ伝えていた。
それでも良いんです、いつか取扱いできる日が来るまで毎回見に行きます、と言って
本当に取扱いのできないブランドの展示会の為に毎シーズン東京まで来てくれた。
折角来たんだから、お酒でも飲んでいったらよか、そんな風に、基本的にいつも泥酔して帰っていった。
口癖みたいに、諦めませんよ。って言って笑っていた。
ある日、そろそろ終電の新幹線なので、と言うので、それだったら富ヶ谷からタクシーで新横浜まで行かないと間に合わないよ。って言って
そんなはずはないのに、タクシーで新横浜に向った。
馬鹿なんだろうか。
きっと、そうだ。僕も彼も、馬鹿なんだ。
この「馬鹿」という言葉。
私にとっては非常に嬉しい言葉です。
タクシーで新横浜まで行ったのはただの馬鹿だと思いますが、
取り扱い承諾の理由である「馬鹿」はそういう意味じゃないはずです。多分、、
ここでいう「馬鹿」は、
普通だったらはそれはしないだろう(出来ないだろう)
教科書にはこう書いてあるのに何故敢えて違う方法でやるの?
といった「異端児」のような意味だと思います。
悪く言えば「非常識」
冒頭の山本氏の記事でいう「馬鹿」は「枯渇することない想像の原動力」であり、それは「社会に対する反発心」
カラー写真を主に撮影している蜷川さんに「モノクロ」というルールを提示したのも「異端」と唱える人が多いのではないでしょうか。
Ka na ta加藤氏がブログで話してくれた「馬鹿」は、
Dear Joze.がKa na taと、yohji yamamoto の2ブランドしか取り扱っていないことか、
取扱いのできないブランドの展示会の為に毎シーズン東京まで足を運んだことか。
そのどちらも「非常識」
私はセレクトショップで働いた経験がある訳でも、ブランドのアシスタントで修行を積んだ訳でもないのでその行動に対してそこまで「非常識」なことではないと思っていました。
確かに、何処かで修行をしていたら2ブランドで営む選択肢は無かったかもしれません。
一度断れてしまったブランドはすんなり諦めるものだと、考えることが出来たかもしれません。
セレクトショップで2ブランドのみの店舗なんて世の中に存在しないと思います。
もしそんなお店を営んでいる方がみえましたら是非、お話しを伺いたいです。
取り扱いを断られてしまったのに諦めきれず、展示会に足を運んで、その都度断れてしまっているバイヤーの方。
もしみえたら、断られてしまって辛い気持ちとか、そのブランドを諦めきれない熱い気持ちとか語りましょう。
どちらもお酒を飲みながら。
今、このブログを読んでくださってる方で「若者」に該当される方。
black lights:山本耀司と蜷川実花(i-D .vice.com)
冒頭で引用したi-D.vice様のインタビューで、
「若者たちに向けてメッセージをいただけますか?」
に対して、
蜷川さんは、「身の丈を知ることばかりせずに、もっと無理してもいいのにと思っていて。」
山本氏は、[「保育園落ちた、日本死ね」って書いた人がいたじゃないですか。あんなような若い人の怒りが、もっと日本に広がってこないといけない。そういう意味で、精神的にハングリーでないと。]
と語っています。
どちらも「馬鹿であるべきだ」という意味だと私は捉えます。
世間は「身の丈にあったことをしなさい」と言います。
「社会のルールに従いなさい」と言います。
別にいいじゃないですか。
身の丈に合っていないことに挑戦して「馬鹿」だと言われても。
間違ってるんじゃないか、と強く思う社会のルールに対して自分の体1つで立ち向かって「非常識」と言われても。
それを本気でやれば、認めてくれる人や、求めてくれる人に出会っていつしか新しい形になります。
その時、それは「馬鹿」だけど、「非常識」だけど、素敵なものになっているはずです。
何度かブログで話していますが、Yohji YamamotoとKa na taの2ブランドでお店を始めたのは両ブランドが「終わる」ことが無いと信じているからです。
ファッションという業界には「流行り」があって、それに踊らされていつしかほとんどのブランドが終わります。
その時、セレクトショップも共に終わるか、もしくはセレクトショップだけがラインナップを流行りのブランドに移行して生き残るか。
Dear Joze.はもし、どちらかのブランドが流行りによって「終わる」ことがあれば共に終わることを選びます。
「馬鹿」は、
Yohji Yamamoto山本耀司氏にとっての想像力であったり、
Ka na ta加藤さんと共に生きていけるきっかけになったり、
私にとって最上級の褒め言葉かもしれません。
最後に、Ka na ta加藤氏が昨年、書いてくださったブログの全文を転載します。
是非、ご一読ください。
joze
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